【書評】『楠木正成(上)』正成と護良親王、運命の出会い
中高時代の得意科目は英語と歴史。ぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
今回は本を一冊ご紹介。
読むに至ったきっかけは、とある歴史ミステリーを見たこと。
その歴史ミステリーに深く幅広い知識を学び、中高生時代に学んだ日本史の薄っぺらさを痛感するとともに「ここまで異色の天皇がいたのか!」と驚きました。
出典:Wikipedia
後醍醐天皇は、鎌倉幕府の倒幕を謀って武家政権から政治の実権を取り戻そうとする中で、ひとつの時代に二人の天皇が存在する、という日本の歴史に例を見ない南北朝時代を生きた天皇です。
後醍醐天皇が行った建武の新政は天皇の親政、王政復古を目指したものでした。
しかしその政策は武士の所有していた土地を貴族に返したり、新たに紙幣を発行しようとするなど武士の反感を買ってしまうものとなってしまいます。
南北朝の戦い劣勢の際には密教法具を持って倒幕のための加持祈祷を自ら行ったそうです。
出典:Wikipedia
天皇であるにもかかわらず、法具を持ち、袈裟を身に付けた自画像。
日本の密教の祖、空海の肖像画と並べると本当によく似ています。
改めて後醍醐天皇の生涯、ひいては南北朝時代を学んでみたい、手始めに歴史小説を読もうと思ったところ、北方謙三さんが南北朝時代について何冊も書かれているのを知りました。
なかでも楠木正成はよく知った名前だったので、まずはこの本、と手に取るに至りました。
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本の内容ですが、途中まではネタバレなしで時代背景とあらすじのみをご紹介します。
時代は1300年代の前半、鎌倉時代末期。
幕府の14代執権である北条高時が政治に関心を持たなくなり、田楽や闘犬にうつつを抜かして政治が乱れ、武士や民衆の不満が高まっていた頃の話です。
出典:妖怪と田楽を舞う高時 『太平記絵巻』(埼玉県歴史と民俗の博物館蔵)
本書の上巻の主な登場人物としては、楠木正成率いる楠木家と赤松円心(則村)、金王(かなおう)盛俊といった畿内の有力豪族(幕府に反逆の意思を持つ “ 悪党 ” として生きている)と、後醍醐天皇の息子の護良(もりよし)親王です。
予想に反して、上巻には後醍醐天皇はほぼ出てきません。
陸運・海運の商いを通じて力を拡大していく正成。
各地の豪族たちとつながりを持ち、自分たちの利益のみで動く“ 悪党 ” の生き方、揺らぎつつある幕府との向き合い方とその先を模索し、自問自答の日々を送る中で、護良親王と出会います。
弟である正季は、兄である自分を拠りどころにする、では自分はなにを拠りどころにすればいいのか
河内からもっと商いを広げ、力をつけることはできる。その力で、闘うべき相手はどこにいるのか
武士の支配を断ち切る以外にないのだが、方法だけが、いつまで経っても見えてこない
武士の支配を断ち切る方法を探していた護良親王は、正成の力量を認めて力を貸すよう求めます。
護良親王とのつながりの中で、正成は自分の拠りどころとこれからの生き方を次第に見出していくことになります。
そして、上巻の後半で “ 悪党 ” として生きること、すなわち幕府と戦うことを腹に決めます。
悪党として生き延びる。さもなくば、闘って散る。
しかし正中の変に続いて天皇の倒幕計画が洩れてしまう二度目の事態、元弘の変が起こるところで上巻は終わります。
日本史の授業で習った薄ぅーい知識では決して想像すらできない、時代が変わりつつある中での支配され、鬱屈した想いを抱きつづける武士たちの生き様を見ることができ、非常に胸の高まる一冊です!
ちなみに、これからこの本を読まれる方は、鎌倉時代末期に存在した畿内の国の位置関係を頭に入れた上でぜひお読みください。
正成や護良親王らがどのような動きをしていったかをよりリアルに想像して楽しむことができますよ!
出典:近畿地方とは (キンキチホウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
以下、ネタバレを含む内容ですので自分で読んで鎌倉末期の混乱・動乱を味わいたい方はここまででお願いします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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この本を読んで【以下の四つのことをとても興味深い、面白い】とぼくは思いました。
一つは、「悪党」の定義がなんとなく理解できたこと。
今まではカテゴリーとして御家人に入るものとなんとなく捉えていましたが、それは間違いでした。
悪党とは、荘園領主に逆らった者たちである。荘園領主の背後には幕府があるわけだから、幕府に逆らっているということにもなる。
常に自分たちが生きたいように生きる、その中で邪魔をするなら例え六波羅探題(京を警備する幕府の出先機関)でも戦うことをいとわない、という幕府側からすると邪魔な存在、無法者のことを言うんですね。
つまり悪党は、幕府に仕える御家人とは敵対関係にある存在です。
二つ目、正成が非常に商人的な性格を持っていたということ。
商いは、いつも五分五分である。相手が儲けた分、自分も儲ける。損をした分、自分も損をする。自分だけ損をすることは、商いにかぎらずしようという気が正成にはなかった。
「朝廷は、確かに無私の奉公を求めてくる。すべてを投げ出せとな。しかし、それは人の本性に反するであろうと俺は思う。」
それは、陸運・海運をとりまとめる河内の悪党として生きてきた中で形成された価値観、性格なのかもしれません。
鎌倉時代といえば「いざ鎌倉!」「滅私奉公」と覚えたものです。
出典:水曜どうでしょう
しかし、幕府に仕えれば土地が保障されるというのが終わりつつある時代に「悪党」という新たな生き方をする豪族が生まれ、そして商人的側面も持ち合わせるようになるというのはとても面白い流れだな、と感じました。
三つ目は、正成と護良親王の運命的な出会い。
前半部分でも触れましたが、護良親王は武士の支配を断ち切る方法を、正成は自分の拠りどころ・生き方を探していたところで出会います。
護良親王は実は出家しているにもかかわらず、鍛錬を好み、天台座主(比叡山延暦寺のトップ)に就いても僧兵の訓練に明け暮れるほど武人のように血の気の多い人物だったからこそ、正成はある意味動かされたのかもしれません。
なかでも次の護良親王の言葉が印象的でした。
「それでもいい。生きながらの死より、闘って散る方を私は選ぶ。それが天皇家に関わってこようともだ。」
時代が変わるために必要な二人を時代そのものが出会わせたと感じられて、歴史ロマンに触れた気がしました。笑
四つ目、中高の歴史の授業で教わることがほぼないであろう雑学が面白いこと。
例えば、作品中に頻出する「猿楽」は芸能、今でいう踊りつきのJ-POPのようなものです。
出典:https://youtu.be/0rDGmAqv81U
芸能は、民の声です。喜びであり、嘆きであり、時には滅びを願う心であったりします。そういうものは、ただの人にはできません。人ではないものになる。
そして、猿楽の一座は諸国を周りながら土地土地の情報を集めていました。正成が拡大させていった海運が発達するためには各地の情報が必要で、その情報がやはり一座が集めたものだったのです。
荷がうまく動かせない。荷を満載して熊野から摂津まで行ったとしても、帰りは空船では、半分は無駄ということである。要するに、どこにどういう荷があるかを、把握することだった。それは何年も前から情報として集めていた。旅回りの猿楽一座などが役に立つ。そうやって荷が動くことで、利の一致も少しずつ生まれてくる。
海運がどのように発展したか、の一端を知ることができて非常に勉強になりました。
また、芸能などで各地を回る人たちに援助をする人は、情報を得ることに積極的で且つ情報収集能力に長けた人、と見ることができ、今後の歴史の勉強の一助になりそうです。
最後に、下巻に移るにあたって思ったこと。
正成も護良親王もこれからの日本のありようをそれぞれの立場から考え続け、議論した結果が「倒幕」という答えになったわけです。
まっとうな国家論を語る配下を持ちながらなぜ倒幕後の後醍醐天皇は失政したのか、という疑問が湧いてきました。
そうなってしまった経緯を知るのも下巻、そしてほかの小説などを読んでいく上での楽しみのひとつになりました。
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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◆目次◆
『楠木正成(上)』
第一章 悪党の秋(とき)
第二章 風と虹
第三章 前夜
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