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【地名】東海道にまつわる地名〜地名を読み解くシリーズ第8弾

街歩きは好きだけど、時間があるからと近所を散歩するのは苦手。ぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。

 

今回は東海道沿いに点在する地名を読み解いていきます。

東海道とは

徳川家康は1601年にに江戸から京都までの間に伝馬制度を設けました。 徳川家公用の旅行者に、荷物運びのための人足と馬の供出を土地土地の有力者に命じたのが東海道の始まりと言われています。 江戸から京都へ行く間、53箇所で人馬の継立てを行ったことから、「東海道五十三次」という言葉が生まれました。 これが幕府公認の東海道の成立です。

f:id:hundreds_of_works:20200406091920g:image引用:“ŒŠC“¹‚Ƃ́H

日本橋

江戸の起点、日本橋

f:id:hundreds_of_works:20200406092355j:image出典:日本橋/東京の観光公式サイトGO TOKYO

f:id:hundreds_of_works:20200406090139j:image歌川広重東海道五十三次日本橋朝之景

現在は首都高の陰に隠れてしまい、訪れると想像と違って少しがっかりする場所ですが、首都高の地下トンネル化で日本橋に青空が戻るかもしれないというニュースもあります。

「3200億円の青空」に賛否 日本橋の首都高移設始動|オリパラ|NIKKEI STYLE

地名の由来は、将軍の命によって江戸の中央に諸大名が架けた橋、すなわち江戸第一の橋、日本を代表する橋ということから日本橋と呼ばれました。

ちなみに、現在も橋についている「日本橋」の銘板は15代将軍徳川慶喜が揮毫したものです。

f:id:hundreds_of_works:20200406090548j:image

高速道路にも同じく「日本橋」と銘板がありますが、こちらは慶喜公が揮毫した文字を切り貼りして縦書きから横書きにしたもの。何とも失礼な話です。

f:id:hundreds_of_works:20200406090558j:image


●京橋

東京駅にほど近い京橋。

戦後の瓦礫処理で埋め立てられて、橋そのものの存在を見ることはできません。

日本橋から東海道五十三次を京へ上る最初の橋だったことから名前がつきました。

f:id:hundreds_of_works:20200406090624j:image歌川広重『名所江戸百景』より京橋竹がし


小伝馬町

東京メトロ銀座線の駅でおなじみの町名です。

伝馬(てんま)

江戸時代、諸街道の宿駅常備され、公用の人や荷物の継ぎ送りにあたった馬をいう。伝馬を使用できるものは幕府の公用,諸大名,公家などの特権者であったが,これには無賃の朱印伝馬と定賃銭を払う駄賃伝馬の2つがあった。

引用:コトバンク(一部省略)

伝馬とは、五十三次を行き来する有力者のための馬、また次の宿駅や目的地まで運ぶ制度そのものを意味しました。

五街道が整備されて日本橋がその基点になると、旅行用の馬、籠(かご)や飛脚、人足の世話を取り扱う伝馬役がここに置かれました。


またこの駅周辺には、日本橋大伝馬町日本橋小伝馬町の二つの地名が存在します。

大伝馬町にはより多くの馬が準備されたため、大伝馬町、小伝馬町とそれぞれ名前がつけられました。また、中伝馬町など他にも伝馬のつく地名は存在したようです。

また小伝馬町には牢屋敷があったことでも知られ、ここで刑死した吉田松陰の碑が今も十思(じっし)公園残されています。

f:id:hundreds_of_works:20200406090822j:image出典:【吉田松陰終焉之地】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet

かつては江戸への玄関口の役目をなした小伝馬町。呉服問屋、木綿問屋、旅籠(はたご)屋が軒を連ね、人馬の往来でにぎわっていたそうです。当時の繁栄は受け継がれ、現在は卸問屋街の機能を果たしています。

 

●馬喰町(ばくろちょう)

小伝馬町に隣接する馬喰町には、伝馬で使用する馬の仲介業者が住んでいました。

f:id:hundreds_of_works:20200406091017j:image出典:東京メトロ

この仲介業者のことを「博労(ばくろう)」と言い、博労町と名付けられたのがいつしか馬喰町と言われるようになりました。

また、馬で生計を立てる人たちが必然的な集まり、博労以外に馬医師(うまくすし:今の獣医)などか多く住み、馬を扱う馬市が立ったそうです。

 

慶喜公が揮毫した日本橋の銘板のように、今もその目が見ることができる歴史や歩いて感じることができる歴史が地名に隠れています。

改めて地名の魅力に気づかされました。

 

冒頭でお話ししたように、東海道は江戸東京から京都まで続く長い長い街道だったので、まだご紹介しきれない地名がありますが、今日はこのへんで。

ではまた。

 

最後に。

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