【地名】明暦の大火を機にさらなる発展を遂げた江戸〜地名で読み解くシリーズ第6弾
中高生時代にハマった胸熱漫画は「め組の大吾」、ぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
五味さん懐かしいなぁ。
今の皇居を中心とする東京周辺の地名を調べると、必ずと言っていいほど出てくる歴史的な出来事があります。
明暦の大火。
4代将軍徳川家綱の時代、1657年の冬に江戸の大半を焼いた大火災です。
出典:江戸火事図巻(Wikipedia)
戦禍、震災を除くと日本史上最大の火事とも言われる明暦の大火について、今回は調べてご紹介します。
項目立てて紹介していきます。
●火元
この火災の特記すべき点は、火元が1か所ではなく、本郷・小石川・麹町3か所から連続的に発生したということ。ひとつ目の火災が終息しようとしているところへ次の火災が発生、結果的に江戸中心部の6割が焼き尽くされました。
一部の情報では幕府放火説があり、飽和状態だった江戸の人口と住宅事情を解消するために幕府が江戸市街を焼け野原にしようと画策したという話も聞こえてきます。
●火災が大規模になった原因
冬という乾燥して雨の少ない季節と北西の季節風「空っ風」による北からの強風、また当時の貧弱な防火体制では延焼を防ぐことはできませんでした。
当時の消火組織は、将軍が大名を緊急招集する奉書火消(担当が明確でなく無意味)と、六大名が火消し役となって火災に備える態勢をとる大名火消が存在しました。しかし、城内で起こる火災が町家まで及んだ時の対応にまでは手が回るような体制ではありませんでした。
また当時の消火活動は、燃えている家屋は放置してその周辺の家々をどんどん破壊していく、いわゆる破壊消火活動でした。延焼防止には有効な手段でしたが、同時多発的に起きた明暦の大火では手が回らなかったと考えられます。
●被害の範囲
外堀以内のほぼ全域、江戸城、大名屋敷160余、旗本屋敷770余、町屋敷40町、市街地の大半を焼失しました。これは現在の千代田区と中央区のほぼ全域、文京区の約60%、台東区、新宿区、港区、江東区のうち千代田区に隣接した地域一体にあたります。(Wikipediaと報告書(1657 明暦江戸大火) : 防災情報のページ - 内閣府より引用)
また、死者は3万から10万人とも言われており(残された文献で数字が様々)、この時期の推定人口が29万人(Wikipediaより)ですから、いかに被害が大きかったかが分かります。
●被害を受けた主な建造物
・江戸城の大部分→本丸、二の丸、大奥、天守閣。天守閣はその後一度も再建されていません。(莫大な費用がかかるため)
・城内にあった御三家の屋敷→火事を契機に江戸城外に転出するとともに、それにともなって武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転。
出典:Social Studies
・日枝神社→1478年太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(関東天台宗の本山、現在の喜多院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりとされています。徳川家康が江戸に領地替えされたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とします。
1604年からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町(現在の国立劇場のあたり)に遷座し、庶民が参拝できるようになりましたが、明暦の大火により社殿を焼失したため、4代将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座しました。ちなみに、この地は江戸城から見て裏鬼門位置し、表鬼門は上野の寛永寺です。
・浅草の東本願寺→ 神田明神下にありましたが、明暦の大火で焼失したため、現在の浅草(田原町)に移転しました。
・西本願寺→【地名】「溜池山王」川の流れに沿って点在する江戸の名残り〜地名を読み解くシリーズ第5弾 - ぼくはこう思う、みんなはどう?の記事でご紹介しました。現在の東日本橋から築地に移転しました。八丁堀の海上が与えられた理由についても、埋立地造成のコストを抑えるためと考えられます。江戸時代初期、江戸城目前まで入り込んでいた日比谷入江を埋め立てる際も、外様大名に屋敷地としての土地を与え、埋め立てを大名自身に行わせ、土地造成を行っています。
焼失した建造物はまだまだありますが、このあたりで。
ちなみに、これほどまでに大規模な火災だったにも関わらず炎症を免れた建物が、新橋にある烏森神社。
「火災を免れた神社」ということでパワースポットと言われているようです。笑
●防火強化対策
徳川御三家の藩邸を移転させ、跡地に馬場や薬園などとし延焼防止帯を設置します。
御三家の移転先はそれぞれ、水戸藩→現在の東京ドームと小石川後楽園、尾張藩→防衛省市ヶ谷地区、紀州藩→現在の赤坂御用地です。
出典:Social Studies
隅田川東岸に深川など市街地が拡大されるとともに、吉祥寺や下連雀など郊外への移住も進みました。
火除け地や延焼を遮断する防火線として広小路(幅を広く取られた道、当時は珍しかった)が新たに設置されました。上野広小路などの地名が現在も残っています。
読んでお分かりいただいたように、明暦の大火は江戸市中を焼き尽くして大量の死傷者を出した大規模な火事でした。
しかし歴史的な視点、あるいはドライな視点で見れば、この火事によって当時江戸が抱えていた人口過密問題やそれに伴う衛生環境の悪化、治安の悪化を解消すべく、江戸の市街地再編、都市改造が進むことになりました。また、埋立地の形成や人口過密エリアの郊外移転により江戸は都市としてさらに拡大していくことになり、家康〜家光までが築いた初期の江戸から大きく発展するきっかけになったとも言える出来事だと言うこともできます。
ずっと気になっていた明暦の大火を知ることができ、今回もかなり満足です^^
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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【言語】世界中で愛されることば遊び〜アンビグラム、アナグラムにパングラム
家に居ることがより多くなった昨今、サブスクの動画配信サービスが気になっているぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
映画を中心に観たいので、U-NEXTとNetflixで悩んでいます。どちらがオススメですか?
先日『天使と悪魔』という映画『ダ・ヴィンチ・コード』の続編を観て、「アンビグラム」というものを初めて知りました。
語を与えられた形式だけでなく、異なる方向からも読み取れるようにしたグラフィカルな文字のこと
引用:Wikipedia
主なものとしては、点対称で表された180度ひっくり返しても読める文字や鏡に写しても読める文字です。
具体例を紹介しますと、映画『天使と悪魔』で使用されたものはこちら。
180℃回転させても「 illuminati 」と読めますね。
※矢印 ☞ がついているのは、上下逆さまにしているのを分かりやすくするためにぼくが付けました
実は、企業ロゴやブランドロゴにもアンビグラムは使用されています。
出典:ord.yahoo.co.jp
出典:NISSINのロゴ、逆さに読んでも同じ 実は意図せずデザインしていた?
言われて初めて気づくデザインですね。
ひっくり返しても同じという点では回文もそうですね。
【言語】回文でことば遊び〜お菓子が好き好きスガシカオ - ぼくはこう思う、みんなはどう?
「ひっくり返す」と似た系統で文字を入れ替えるアナグラムやパングラムがあります。
単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊び
引用:Wikipedia
例えばこんな具合。
・これ、アナグラム? → グアムならコレ!
・飛び出し注意 → 飛び地異臭だ
英語で有名なアナグラムといえば、こちら。
・Florence Nightingale (フローレンス・ナイチンゲール)
→ Flit on, cheering angel. (羽ばたけ、心の支えの天使)
他にもお洒落な英語のアナグラム。
・Statue of Liberty = built to stay free (自由の女神=自由でありつづけるために建てられた)
・astronomer = moon starer(天文学者=月を見つめる者)
・astronomers = No more stars(天文学者たち=星はもうたくさん)
・Tom Marvolo Riddle= I am Lord Voldemort
出典:ハリポタ「ヴォルデモート」の本当の発音は違った。驚きの事実を作者が明かす | ハフポスト
・タモリさん
本名は森田一義。苗字のアナグラム
・湊かなえ
本名の金戸美苗(かなとみなえ)のアナグラム
・泡坂妻夫(あわさかつまお)
本名である厚川昌男(あつかわまさお)のアナグラムをペンネームに。シャレてます♪
泡坂さんは東京で代々続く紋章上絵師(和服に家紋を入れる絵師)でありながら、推理作家でもあります。
この方の著書を読んで、ぼくは家紋のデザイン性に興味を持ちました。
そして推理小説もおすすめ!
内容もさることながら、作品の仕掛けに遊び心があります。
泡坂さんは回文を使った作品も過去に出版されていて、ことば遊びに精通されています。かなり遊び心を持った方なのかもしれません。
続いてパングラム。
パングラム
アルファベットで使用する言葉遊びである。ギリシア語で「すべての文字」という意味がある通り、すべての文字(26個のアルファベット)を使い文章を作るのが目的である。同じ文字を複数回使用するのはよいが、短い文章の方がよい。あるいは、少し長くても他に意味のあるものは評価される。
引用:Wikipedia
「すべての文字を使う」というパングラムの約束事の上にさらに “ 一文字ずつしか使わない ” という強烈な制約のなかで存在するのが、我々日本人が最初に思いつくであろう言葉は「いろは歌」。
いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく
やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
「いろは」の四十七字をダブらせることなく一字ずつ使用しているため、さらに突っ込んで「完全パングラム」と呼ばれます。
他にもご紹介したい完全パングラムがあります。
尊敬するコントグループ ラーメンズの一員にして頭脳、小林賢太郎さんによる作品「学校でアナグラム」での一幕。
近年はラーメンズとしてでなく、片桐さんがTVやラジオなどで活躍する一方で、小林さんは舞台を主な活動の場とするなかで年に一回NHKでネタを見せてくれます。
この作品が収められているのは『小林賢太郎テレビ3』
他にもSolo Performance Live Potsunenシリーズで別の完全パングラムやたくさんのアナグラムを発表されています。
どれもストーリーを織り交ぜたスタオベ級の素晴らしいもの。
YouTubeの公式チャンネルでも見られるのでぜひ一度ご覧ください!
最後に、世界中で最もよく知られた英語のパングラムとして以下のものがあります。
・The quick brown fox jumps over the lazy dog. 「すばしっこい茶色のきつねがのろまな犬を跳び越える」
Windows のTrueType/OpenType フォントのサンプルに使用されています。
なるほど、フォントサンプルに採用されるほど秀逸な文章を作り出して商標登録すれば一儲けできるかもしれません。ニヤリ。
今日はこのへんで。
ではまた。
【地名】「溜池山王」川の流れに沿って点在する江戸の名残り〜地名を読み解くシリーズ第5弾
警官の前を通るときは、警官側に体の全神経が偏りがち。ぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
東京観光をする大人の方には、半日ぐらい時間を割いて日比谷→霞ヶ関(官庁群)→国会議事堂→首相官邸を歩いて周ることをお勧めします。「これが日本の政治の中心か」と胸高まるものを感じます。
ビジネス街であり、また、首相官邸や国会議事堂、米国大使館が近くにある日本の政治経済の中心の一つと言えるエリアにある駅です。
出典:GoogleMap
この「溜池山王」。近くに池も山もなく、初めて聞くといびつに感じる名前ですよね。
今回は、東京メトロ銀座線の「溜池山王」という駅名を読み解いていきます。
※ 今回の記事で注釈がない画像はすべて「大江戸今昔めぐり」アプリから引用です。
少しいびつに聞こえる溜池山王は、溜池と山王の合成語です。
溜池山王駅が現在ある場所、かつて江戸時代には大きな溜め池があり、駅の北方には山王とも異称される日枝(ひえ)神社があるため、この2つが合わさって名前がつけられました。
溜め池と言っても自然にできたものではなく人口の池で、江戸城の外堀であると同時に飲料用の上水ダムとして利用されていました。
以下、溜池の由来 | 地域情報TOKYOさんぽからの転載です。
長さ1.4km、幅45m~190mといった大きさで、かなり細長い池でひょうたん池とも呼ばれていました。
慶長11年(1606年)に家康に恩義を感じた和歌山藩主浅野幸長の家臣矢島長雲が、現在の特許庁前交差点附近に堰を造って水をせき止めたのが本格的な溜池の始まりでした。堰を越えて流れ落ちる水の音が大きく、「赤坂のドンドン」と呼ばれて、徳川秀忠の時代には、琵琶湖の鮒や京都の淀の鯉を放したり、蓮の花を 植えたりして上野の不忍池に匹敵する江戸名所になり、その眺望は四季を通じて美しかったようです。
江戸城は内堀と外堀の二つのお堀に守られていました。
出典:Social Studies
内堀は現在とほぼ変わらないものですが、外堀は埋め立てによって溜池山王や鍛冶橋といった名前を残すのみの場所も多くあります。
外堀の水源となる神田上水から流れた水は飯田橋のところで二手に分かれます。
水道橋ー御茶ノ水ー秋葉原ー浅草橋と続いて隅田川に流れ込む神田川(水道橋で分岐して内堀の方にも流れる)と、現在の市ヶ谷ー四ツ谷ー赤坂見附ー溜池山王ー内幸町…と続く外堀の水路です。
外堀の水路は、現在の銀座八丁目のあたりで二手にルートが分かれます。一つ目のルートは北東に向きを変えて、三十間堀(さんじっけんぼり:現在の新橋駅西側ー室町あたり)から八丁堀、隅田川へと流れるルート。
京葉線と日比谷線の駅名でもある八丁堀は、その名の通りお堀だったのです。
開削された堀の長さが約8町(約873m:京橋ジャンクションー八丁堀駅東端付近)あったため「八町堀」と呼ばれ、後に「町」が略字の「丁」となって現在の名前になりました。
外堀下流のもう一つのルートは、南南東に向きを変えて浜離宮恩賜庭園の手前でさらに二手に分かれて汐留川と築地川に名前を変えます。
汐留という地名は、江戸城外堀に潮の干満が及ばないよう海と堀とを仕切る堰があったため、この地域が潮溜りになっていたことに由来します。
町名はなくなった汐留ですが、汐留駅や電通本社ビルや日テレ本社ビルなどが入る汐留シオサイトなどにその名残があります。
また築地は文字通り「土地を築く」、埋め立ててできた土地という意味です。
出典:江戸幕府以前の江戸
埋め立ててできた土地に作られたのが、築地本願寺。ただ、築地本願寺は元は日本橋横山町にありました。
出典:Wikipedia
1617年に西本願寺の別院として浅草橋門の南、横山町(現在の日本橋横山町、東日本橋)に作られたのが築地本願寺のはじまりで、火事によって本堂を焼失した際に、区画整理を理由に元の場所に再建することを江戸幕府に認められず、代わりに提示されたのが今の場所でした。
しかし与えられた土地は海で、佃島の門徒が中心となって本堂再建のために海を埋め立ててできた土地が今の築地だったのです。
今回は溜池山王にはじまり、八丁堀、汐留、築地の地名の由来を知ることができました。
今でこそ溜池山王や八丁堀は埋め立てられてその存在を知る由も有りませんが、そこには確かに溜め池が、お堀が、川があったのだと地名は我々に教えてくれているんですね。
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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【時事】今自分にできること〜世界中に溢れる心温まるエピソード
エイプリルフールで骨折のコスプレをしてガチで心配、怒られたことのあるぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
2020年の開催中止が決定された東京オリンピックですが、一年後に開催が決まりました。
東京オリンピック7月23日開幕 パラは8月24日開幕で決定 | NHKニュース
もはやコロナそのものがエイプリルフール!であってほしい今日この頃ですが、一年後のオリンピックを楽しみにしつつ、一日も早くコロナショックが収まることを祈ります。
今回はそんなコロナショックで自由に外出ができずストレスフルな毎日を送る中で、世界中で起きている心温まるエピソードをいくつか紹介。
●フランスでは
毎晩8時に街に響く感謝のエール フランス|FNNプライムオンライン
毎晩午後8時ちょうどに、日々最善を尽くしてくれている医療従事者に拍手を送って感謝の意を表しています
●デンマークでは
キャロル・キングの「君の友だち」を歌って近所の人同士が互いを励まし合っています
●スペインでは
音楽ライブに行かないよう勧告される中、地元警察がギター片手にストリートライブで市民を励ましています
●オーストラリアでは
自分のお小遣いでトイレットペーパーを買って困っている人に配ることを思いつき、近所の年配者に配って回っています
・・・
【4/2 22:30追記】
●イギリスでは
A man is currently live streaming himself running an entire marathon in his garden | GiveMeSport
ジェームズ・キャンベルさんは新型コロナウイルス対策の基金を募るため、ツイッターでマラソンを告知。自らの32歳の誕生日にわずか6mの裏庭でライブ配信しながらフルマラソンを完走。 £26,000(約348万円)のチャリティを集めました。
・・・
●日本では
甲府市の中学生が手作りマスク600枚寄付 費用はためたお年玉 | NHKニュース
マスクを求めて何軒もハシゴする高齢者を見て、マスクを自作し山梨県に寄付しています
殺伐としたコロナ社会で心温まる出来事も 40代女性のマスク物語 | マネーポストWEB
花粉症でマスクを手放せない女性が早朝から薬局前で並んでいたところ、声をかけてきた男性が事情を知り女性にマスクを譲っています
ネットで探せば、寄付を始めとしてこういった心温まるニュースはたくさん出てきます。
そのなかでも今回ぼくがご紹介したものは、すべて一般の人が誰かを思いやる気持ちから行動したものです。初めのフランスの拍手とデンマークの歌の話は自分も心温まるし、相手も嬉しい行為。何より振り返った時に思い出になりますよね。
ネガティブな条件下でポジティブな行動を起こすこと、そしてその【行動や感情を複数人、大勢で共有することが欧米の人たちは本当に上手だな】とぼくは思いました。
今自分ができることをする。
背伸びして頑張るというニュアンスにも取れますが、肩の力を抜いてポンッと出たアイデアが意外と周りの人を和ませる、優しい気持ちにすることができるのかもしれません。
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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【地名】「新木場」その地名は歴史の足跡だった〜地名を読み解くシリーズ第4弾
先週末は外出自粛で家に引きこもって地名ハンターしていたぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
おかげさまで、地名を読み解くシリーズ3連続。地名を調べるうちに予想外の歴史が顔を出す瞬間がたまらない、個人的に非常に好きなシリーズです。
新木場(しんきば)は、第1弾で紹介した「東雲(しののめ)」がすぐそばにあり、南側に東京ゲートブリッジや若洲海浜公園、東京湾が臨む臨海部のビジネス街として栄える街です。
出典:GoogleMap
この街で一般の人が多く訪れる場所といえば、ライブハウスのSTUDIO COAST。
キャパシティはスタンディングで2,402人で、関東でこれよりも規模を広げると豊洲PITや日本武道館、横浜アリーナなどになる、都内最大クラスのライブハウスです。週末にはクラブイベントageHaも行われています。
出典:「ageHa」が彩る最高の夜に熱狂! 日本最大級のクラブイベントの魅力紹介! - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)
華やかな一面も持つ新木場ですが、名前に「木」がつく通り、木材に関連する場所なのかな、という推測はたちます。
実際に駅周辺にはオフィスビル以外に、製材工場や木工工場などが見られ、木材加工で一定の経済が回っている雰囲気が見られます。
ではなぜこの場所で新木場は栄えたのでしょうか。
今回はこのあたりを探っていこうと思います。
まず、新木場の名前にある「木場」というのは貯木場、資材置き場を意味します。
下の空中写真(1989年撮影)からも分かるように材木を海面に浮かべて保管しています。
出典:Wikipedia
新木場の貯木場はT字型をした小島によって南北に分かれており、北は14号地第1貯木場、南は14号地第2貯木場となっています。
出典:GoogleMap
丸太は地面に平積みではなくて、海に浮かべて保管するんですね。
これらの貯水場は現在でも機能していますが、すでに丸太の形で木材を輸入する時代ではないため、貯木場のほとんどは使用されないままになっています。
木材の輸入のされ方、そして木材そのものの需要の低下で、新木場の街はオフィスビルやライブハウスを誘致して経済の転換を図る必要があったわけです。
新木場の木場(貯木場)の話をしましたが、その名の通り木場という地名もあります。
出典:GoogleMap
木場(新木場から北北西に6kmの位置)が埋め立てによって内陸となった1969年以降は荒川の河口に近い沖合の埋立地に新たな貯木場=「新木場」が作られ、役割がそちらに移ったのが現在の新木場です。
ちなみに、木場が最初の貯木場かというとそれは違って、江戸の初期は深川元木場(現在の江東区福住あたり、現在その名前は廃止)、日比谷入江にありました。
家康が入府した当時の江戸は、現在の皇居外苑のあたりまで海が迫っており、家康は都市開発のために神田山(現在の御茶ノ水、駿河台あたり)を切り崩した土で日比谷入江を埋め立てました。
出典:江戸幕府以前の江戸
日比谷入江が埋め立てられて材木の取引が不便になると新しい埋立地へと材木商人が集まる材木町も移ります。
都市開発や幕府による召し上げ、埋め立てなどで何度かの貯木場の移転があって現在の新木場に落ち着いたわけですが、どこであっても海辺である、ということが絶対条件でした。
それは第一に、海路で材木が江戸や東京に運ばれたから。
そして、火事の多い江戸にあって材木の需要が高く、延焼材にもなり得る材木を江戸市中から遠ざける必要があったことに加え、材木の品質管理という点でも海辺は最も適していました。
なぜなら、丸太はそのまま置いておくと乾燥によるひび割れや虫喰いが発生します。丸太の割れを防ぐ場所として水中、特に海水と淡水が混じる汽水が丸太の保管に最も適した場所だったのです。
江戸時代には欠かせなかった材木の貯木場「木場」が江戸の都市開発に伴って移転を繰り返し、移転先でそれぞれ名前がつけられる。
歴史の足跡を見ているようで非常に興味深いですね。
今回は「新木場」の地名を読み解きました。
また次の興味深い地名とその歴史を紐解いていきます。
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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東京ー大阪間の移動は夜行バス。ぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
東京駅八重洲口から歩いて数分のところにある鍛冶橋交差点。
この近くにあるバスターミナルは夜10時前後になると5分おきにバスが全国に向けて出発し、ぼくもよくお世話になります。
さて今回読み解く地名は、東京〜有楽町間の交差点の名前にもなっている鍛冶橋(かじばし)。
出典:GoogleMap
出典:大江戸今昔めぐり
かつて存在したその鍛冶橋は、江戸時代には江戸城まで伸びており、橋のたもとには外郭門の一つである鍛冶橋御門がありました。
出典:大田区 狩野探幽印章瓢箪形の墓 鍛冶橋・浜町・木挽町狩野家の墓10基
明治維新で鍛冶橋御門は石垣を残して撤去され、さらには終戦後の瓦礫処理で外堀が埋められてしまい、橋そのものも姿を消して、今は移転された石垣と名跡が残るのみです。
江戸時代に話を戻すと、外堀の門外には鍛冶屋職人が暮らしており、町名が南鍛冶町であったことに由来して鍛冶橋と名づけられました。
またこのエリアには、御用絵師だった狩野探幽が鍛冶橋門外に与えられた屋敷がありました。
出典:大江戸今昔めぐり(現代と江戸時代の比較)
ここから少し日本史の話。
狩野派で特に有名なのは、織田信長に仕え、唐獅子図で有名な狩野永徳。
出典:Wikipedia
開祖である狩野正信の室町時代から、狩野派は時の政権の動きに機敏に対応して勢力を伸ばしていました。
徳川幕府の成立とともに狩野派は江戸へ進出を図り、狩野探幽(永徳の孫)もその一人として父と共に京都から江戸へ下りました。
1617年幕府御用絵師となって父の跡目を弟尚信に譲り、探幽は鍛冶橋門外に屋敷を拝領、京都の狩野宗家を弟安信に継がせ、自らは別家してその地名にちなんで鍛冶橋狩野家を興したのでした。
城門の外には鍛冶橋町と狩野家の屋敷があると話をしましたが、城門内には土佐藩山内家の上屋敷がありました。
出典:大江戸今昔めぐり
維新の志士坂本龍馬は、江戸に修行に来ていて上屋敷から千葉道場に通ったと、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や豊田穣の『坂本竜馬』に記されています。(※上屋敷でなく、中屋敷に居たという説もあり)
坂本龍馬が上屋敷に身を寄せて千葉道場(玄武館:現在の中央区日本橋室町一丁目)まで通ったというのは、現在の位置関係だと東京国際フォーラムから日本橋三越本店まで剣術修行に通ったということになります。
出典:大江戸今昔めぐり
普段我々が歩く道を道場通いに龍馬も歩いたと想像すると歴史ロマンを感じますね。
以上、鍛冶橋の地名から江戸期の歴史を読み解きました。
こうして地名から紐解かれる歴史が学校で習った知識とつながっていると分かると、日本史がより身近に感じられますね。
これからも地名ハンターとして東京の地名を探求していきます。
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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朝の東西線には絶対乗りたくないぼく(ぼくみん (@b0kumin) on Twitter)です。
関東の方ならご存知の方も多いでしょうが、千葉と東京を結ぶ東西線は首都圏の乗車率で199%(木場→門前仲町:2018年度)を叩き出す最も混雑する電車です。
出典:GoogleMap
今回は、日本橋や東京証券取引所にもほど近い茅場町の地名の謎に迫ります。
茅場町の「茅」とは、ススキ・ヨシ・チガヤなどのイネ科の多年草の総称です。
現在の茅場町がある場所は、江戸城が築城された15世紀頃は茅の材料となる植物が生い茂る草原で、屋根葺(やねぶき)の材料となる茅で商いをする商人が住んでいた場所と伝えられています。
かつての農村では、集落周辺の一定地域を「茅場」として管理しており、定期的に草を刈り、春先には火入れ(いわゆる野焼き)をしてススキの群落は健全に保たれていました。
出典:すすき草原の野焼き | 【公式】箱根ハイランドホテル|箱根、仙石原の自然に囲まれたリゾートホテル
茅の主な使用目的として屋根材がありました。茅葺き(かやぶき)ですね。
今や見ることの少ない貴重な草屋根ですが、世界遺産白川郷や伊勢神宮正宮・別宮などの社寺建築では現在も茅葺きを維持しています。
出典:Wikipedia
茅葺きの屋根は20〜30年もつ高い耐久性があるのに対して、藁葺き(わらぶき)屋根は10年ほどと耐久性がよくありません。
その理由としては、藁(イネや小麦などの茎)は水を吸って腐りやすいのに対し、茅の茎は油分があり水をはじくからであり、旧来の日本家屋では茅は最も重要な屋根材として扱われてきました。
このように茅葺き屋根の材料として、また家畜の餌や田畑の肥料、燃料として茅は非常に需要の高い植物だったのです。
ちなみに、名古屋市の「萱場(かやば)」、北海道一の歓楽街「すすきの」も同じ理由かつ当時の名残りです。
出典:すすきのはしご酒大会|2時間の探訪で札幌・ススキノの魅力を再発見! | たびらい
余談ですが、茅の一つであるススキは動物の尾に似ていることから尾花とも言われ、秋の七草に数えられます。
出典:秋の七草とは?その時期はいつ?花言葉は?名前の覚え方や意味や由来についてご紹介します
実用的として重宝されただけでなく、万葉集にその名が載るほど昔から愛されていた秋の植物でもあったのです。
秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花
引用:萩の花尾花葛花瞿麦の花 女郎花また藤袴 朝貌の花 (山上憶良)
余談の余談ですが、ぼくが近年最もハマったドラマ「グランメゾン東京」。
出典:https://mainichi.jp/articles/20191228/dyo/00m/200/005000c
このドラマでキムタクが演じた主人公、尾花夏樹の苗字は、ススキのことだったんですね。
今回ご紹介した「茅場町」にも奥深い歴史が隠されていました。
これからも地名ハンターとして東京の地名に隠された歴史を探求していきます。
今日はこのへんで。
ではまた。
最後に。
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